一度きりの人生ららららららら……人生は一度きりらららららーらんららら…………
人生は一度きりであるらしい。別にそれに異論はない。否定する根拠もない。なら、人生は一度きりだと思って生きるのは間違いじゃない。
でも、人生が一度きりであることに同意する根拠も実はあんまりない。死んだらどうなるかなんて、死んだ人にしかわからないし、死んだら死んだで多分わからない。
こんにちは、ムメイです。こんな書き出しになったのには実は、理由がありません。そういう気分だっただけです。
先日テレビを見ていたら、縄文土器修復士なる人が火焔型土器(知らない人は調べてね)を紹介しながら次のようなことを言っていました。縄文人は、今より時間があったし、死んだら生まれ変わると思っていたんですね。だからこんな手のかかるものを淡々と作り続けることができたんですよ、、、
テレビから流れてきたこの話(惰性で見ていたけど、意味はだいたいあってると思う)を聞いたとき、少しはっとしました。
なぜ、この話に衝撃を受けたか。それは、「人生は一度きり」という思想が、ひょっとすると現代の我々の不安を作り出す原因の一つになっているかもしれないことを示してくれたからです。
人生は一度きりであるというのが、現代社会の通説であるのはご存じのとおりです。そして、その意識で生きたほうがいい人もいます。どんな人でしょうか。行動がはやい人です。
彼らは、一度きりの人生を悔いなく生きることに向いています。なぜならば、彼らはできることを常にやっているので、ほかの人と比べて後悔する余地が少ないからです。
では反対に、向いていない人はどんな人でしょうか。言うまでもないですが行動の遅い人です。
彼らが「人生は一度きり」だと思って生きたらどうなるでしょうか。おそらく、行動のはやい人たちに対する後ろめたさと、自分に対するふがいない気持ちで精神が安定しなくなることでしょう。というか、そうなります。なりました。
向いてないならどうすればいいか。それは、次の二つのどちらかです。行動を変えるか、発想をかえるか。
行動を変えるというのは、つまり早く動けるようになれということです。いろいろと試してみる価値はあるでしょう。でも、できるもんならとっくにやってます。
なら、変えるべきは発想です。いろいろやってないことはあるけど、とりあえず今はいいや。できなかったら来世がんばろう……………それくらいの気持ちでいいんだって縄文人は言っているのです。たぶん。
実際これくらいの気持ちで生きてみると、やりたいと思っていたはずのことが実はそうでもなかったことに気づいたり、あるいはやりたいことにもっと気楽にチャレンジできたりするようになるんじゃないかなと思います。
死んだらどうなるかなんて誰にもわからないので、人生は一度きりだと思い込んで自分を追い込むのはやめときましょう。
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