こんにちは、ムメイです。親知らずが虫歯になったようなので、歯医者を予約しました。この歯医者は、高校のころ初めて永久歯が虫歯になったときからの付き合いで、どこか悪くなるたびにちょくちょく行っています。
さて、今回はアイデンティティの話です。僕がアイデンティティというものをはっきりと意識したのが、実は初めて永久歯が虫歯になったときなんです。
乳歯のころは削られてもまた生えてくるし、次から気を付けようくらいにしか考えていませんでした。しかし、永久歯が虫歯になると、削れた歯は生え変わらないし、悪くなることはあっても、これ以上良くなるということは絶対にありません。
自分の歯がもう元には戻らないと意識したとき、それまで100%自分自身の身体であったものが、99%くらいの不完全なものになってしまったように感じました。自分は1%の詰めものを施された人造人間であると。これが僕とアイデンティティの初めての直接的邂逅でした。
アイデンティティとは何か。分かりやすく言うと、自分が自分自身であるという認識のことです。一般的には個性や自分らしさと同一視されることも多いですが、本来これらとアイデンティティは別物であると僕は思います。また、自分が自分であるなんて当然じゃないかと思われる方もいるかと思いますが、話は案外複雑です。
少し例を出してみましょう。僕は巨人ファンなのですが、とある阪神ファンの友人にこんなことを言われました。ある芸能人(誰だか忘れました)が言ってたんだけど、阪神ファンと巨人ファンは熱狂的に自分のチームを応援しているけど、両チームの選手を全員交換したらどっちを応援するんだろうかって。実際どうなんかな?
もう一つ例を出してみます。バイクが好きな人は、自分のバイクをカスタマイズしていることがよくあります。マフラーを替えたり、ハンドルの位置を変えたり、風よけのシールドをつけたりとカスタムの方法は様々ですが、どこまでのカスタムが元の自分のバイクと同じと言えるのでしょうか。もし自分のバイクと、それと全く同じ型のバイクがあるとして、全部バラしてパーツを半分ずつ組み立てたらどちらが自分のバイクになるのでしょうか。
最後にもう一つ、あなたは爪や髪を切ります。その切り落とした爪や髪を自分自身だと考える人はいないだろうし、所有権を主張する人もあまりいないだろうと思います。ですが、これが足の指だったらどうでしょうか。片脚だったら?下半身だったら?首から下だったら?どこまでが同じあなたであると言えるでしょうか。
こんな具合に、自分らしさや個性というものは結構簡単に揺らぎます。私は歯が削れただけで揺らぎました。でも、別に自分らしさや個性が揺らぐことが悪いことだとは思いません。時代や環境の変化に合わせて変わっていける人間は柔軟で強いです。ただ、アイデンティティが揺らぐことは危険です。
さっきの野球の話に戻りますが、僕と友人の答えは一致しました。選手がそっくり入れ替わっても同じチームのファンであると。これはつまり、我々にとってのチームのアイデンティティは、所属選手の影響では揺らがなかったということです。
もう少し掘り下げてみましょう。例えばユニフォームが変わっても、ホーム球場が変わっても、スポンサーやチーム名が変わったとしても、そのチームが巨人だと認識できれば、僕は巨人というチームのファンでいられるのです。逆に言うと、例えばチーム名が変わったときに、これはもう巨人ではないと思ってしまったら、僕はもう巨人ファンではいられなくなります。このようにしてアイデンティティの崩壊は起こるのです。
野球チームくらいならまだいいのですが、これが自分自身の中で起こってしまったらどうでしょうか。おそらく自分自身を認められなくなるという事態につながります。これは、精神疾患や自殺の原因になりかねません。
繰り返しますが、アイデンティティとは自分が自分自身であるという認識のことです。どんなに外面や内面が変化しても、自分が自分であると認識できていればアイデンティティは揺らぎません。我思う、故に我ありと言った哲学者がいたそうですが、アイデンティティとはそういうことです。あなたが自分らしさの拠り所としているものは、本当にあなたのアイデンティティを確立するのに足りるものでしょうか?
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