猫と自立―自立した人間になるために必要なこと

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 ついこの間中学を卒業したような気分でいたのに、気づけば25歳、彼女なし、実家暮らし、フリーター。こどおじに片足を突っ込んでいました。(傷つくのでもうこどおじだろとか言わないでください。)

 僕がおよそ20年間くらいを過ごしたこの実家には猫がいます。まあ他人の家の猫の話なんかに興味ある人、この世に一人もいないと思うので、詳しく紹介したりはしないのですが、やっぱり猫を見ていると癒されるというか、悩みが薄らいでいくというか、ああ、生きるってこんなのでいいんだなという感じになります。

 ところで、家猫って野生ではとても生きていけないように見えませんか?うちの猫はまず無理です。でもなぜか、彼らは僕よりも自立していると感じます。……なぜ?

 うちの猫は、一匹で生きていくことはもはやできないと思います。ですが、僕たち家族がいなくなっても、新しく世話してくれる人を探しに行って、食べ物をもらうことが多分できます。執着しない。頼りになる人を自分で何度でも探せる。適度に媚びるが、嫌なことは嫌と言う。どこの猫も、だいたい似たようなものでしょう。そしてこれが、そのまま自立した人間の姿にも当てはまるのではないでしょうか。

 自立するというと、経済的に独立して自分の力だけで生計を立てられるようになる、あるいは極端な人だと、誰にも頼らず自給自足することが当てはまるんだと言う人もいるかと思われますが、必ずしもそれだけが自立の形ではないと僕は思います。就職して何不自由なく暮らすだけの収入があったとしても、会社が倒産したり、解雇されたりして、あるいは自給自足が思うようにいかなくなってしまったようなときに、もうだめだ…なんて考えてしまうようでは、本当に自立した人間であるとは言い難い。

 僕が思う自立した人というのは、状況に応じて、自分からいろんな人に頼りに行ける人です。

 人は一人では生きていけません。原始時代なら分かりませんが、現代社会では不可能です。個人で収入を得て、身の回りのことも全部自分でやっているという人も、お金で何かを買っている以上、その生活を成り立たせるのに誰かの時間を使っています

 僕たちは、生きるうえで、必ず他人に面倒をかけているのです。この、他人に面倒をかけるということを、他人に迷惑をかけることと同一視して避ける人もいますが、それは間違っています。僕たちは、他人に面倒をかけ、かけられ、必ず持ちつ持たれつギブアンドテイクで生きているのです。

 そして、これを理解して、必要なときにためらわず他人に頼りに行ける人が強い。彼らは、どんな環境に身を置いたとしても、周囲の力を借りながら生きていくことができるでしょう。こういう人たちこそが、自立した人間なのではないでしょうか。

 

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