さて、前編ではプレゼントを贈る側の話でしたが、後編では貰う側の話です。
プレゼントを貰う難しさは、次の二つにまとめることができます。一つ目はプレゼントがいらないものだったとき、二つ目はお返しを考えるときです。
まず、プレゼントがいらないものだったときについて、これはサプライズ的に事前に知らされることなくプレゼントを貰うとなった場合、誰にでも起こりうることです。皆さんも一度は経験あるのではないかと思います。
残念なことに、この場合の行動に分かりやすい正解はありません。ですが、心の方ではある程度正解と思われるものがあります。それは、仕方なく使うにしても、受け取らないにしても、他の人にあげるとしても、売るにしても捨てるにしても、相手に対して誠実であることです。
誠実であるとはどういうことか。相手に対してちゃんとお礼を言い、少なくとも相手の気持ちだけは受けとめるということです。プレゼントが自分にとっていらないもの、使わないものだったとしても、相手が自分のためにいろいろ考えてプレゼントしてくれたという事実は揺るぎません。プレゼント自体をどう使うかはあなた次第ですが、相手の気持ちを無下にするのはよくありません。
ここでちょっと脱線しますが、この問題について触れる場合、もう少し言及すべきことがあります。特に相手の気持ちを深く考えすぎてしまう人に関して、相手を同じように困らせたくないからプレゼントを贈るのに抵抗を感じてしまうということです。前編でも書きましたが、プレゼントは、ものはもちろん、気持ちも贈るものです。そこにサプライズの要素が加わると、気持ちの比重がさらに大きくなります。結果、大きく成功することもあれば、反対に相手を多少困らせてしまうことにつながる場合も出てきます。
プレゼントを贈る側の考え方は前編でも書いたのでそちらを参照してもらえればと思いますが、もう一つ分かりやすい答えとして、何が欲しいか相手に聞くという方法があります。これはサプライズ要素が大きく失われるという短所もありますが、プレゼントで相手を困らせることを心配する必要はなくなります。プレゼントに苦手意識を持っている人は、慣れるまでは相手に欲しいものを聞いてみるのもありだと思います。
話を戻します。次にお返しの問題です。
結論から言うと、お返しは必要ありません。相手が年上でも年下でも、お返しはしなくていいです。
お返しというのは、本能的なものか社会的なものかは分かりませんが、かつてこれが命にかかわる問題だった時代はあったのだろうと思います。お金が社会を回すようになるまでは、仲間内でいろいろなものを融通しあって暮らしていました。この社会でお返しをしないというのは、その後、相手から必要なものを貰えない、さらには村八分状態にされてしまうという命にかかわる問題だったのです。
でも、現代は違います。あなたが誰かにプレゼントをあげるとき、あるいは職場にお土産を買っていくとき、相手からお返しを貰うことを望んでやっているでしょうか。筆者は、誰かに何かをあげた後にお返しを貰うと、そういうつもりであげたわけではないんだけどなぁと少し申し訳ない気持ちになります。みなさんはどうですか?
僕が欲しいのはお返しではありません。相手の笑顔です。だから、プレゼントやお土産は、笑顔でありがとう!って貰っておけばそれでいいんです。
では、お返しについてどう考えるか。それをお返しであると考えずに、別のイベントであると考えます。つまり、この前貰ったから返すというのではなく、今私があげたいと思ったからあげると。あげたいと思わなければ、別にあげなくても問題ないです。現代のプレゼント事情は、これで十分だと思います。
最後に、プレゼントを贈る日(例えばバレンタイン、父の日、母の日、敬老の日など)なんか作らずに、必要に応じてプレゼントを贈ればいいのではないか?ということについて、筆者はこの意見を否定しないし、それでいいと思います。実際、これらの日を画策してほくそ笑んでいる資本家は存在することでしょう。ただ、視線をもっと近い所に移すと、花屋さんやケーキ屋さんや飲食店など、この日を楽しみにしている人たちがいます。また、もちろんそれぞれの日の対象になる人たちも、多少なりとも楽しみにしています。後はあなたがイベントを楽しむかどうか、それを決めるのはあなた次第です。
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