「日本人は発言しない」は本当か?

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 こんにちは、ムメイです。
 日本人は積極的に発言しないってよく言われますよね。でも、これって本当にそうなんでしょうか?僕の答えとしては、基本的にはYESなのですが、必ずしもそれが日本人の特性であるとは言いきれないと考えています。なぜそう思うか。皆さんも、記憶をたどりながら読み進めていただければ、日本の抱える問題の断片を感じとってもらえるのではないかと思います。

 日本人と発言の積極性についての端的な出来事が大学時代にありました。英語の授業の担当教授が、日本人が授業中に発言しないことに非常に危機感を持っている人でした。彼女は英語圏の学校で実際に学んでいたという経験もあり、授業環境のギャップを肌で感じ取ったため、なおさら日本の教育現場はこのままではまずいと思ったのでしょう。

 具体的にはこうです。彼女の通っていた海外の学校では、発言することで初めてその人間が考えを持っていると認められました。一方発言しない人間は、自分の意見を持っていない馬鹿だと判断されていたそうです。そして、発言しないあなたたち日本人学生は馬鹿であると……。

 確かに日本の大学では、自分も含めて、発言しなくても出席点はもらえるし、課題やレポートをそれなりにこなして単位さえもらえればOKという熱意のない学生(特に文系)が多いことは否定できません。でも、彼らが考えなしの馬鹿であるかと言えば、それは違います。彼らはみな、頭の中にはちゃんと意見を持っています。それを表に出さないだけで。出す必要がないんです。そして、出さないようにしつけられてきたのです

 日本人は、大人数の場では発言しません。いったいなぜか。それは、小学校で発言を制限されたからであるというのが筆者の意見です。

 僕の記憶をたどると、小学校低学年までは、自分も含めみんな積極的に発言していました。先生の問いかけに、教室みんなが反応するのが普通の環境でした。しかし、生徒30人に対して教師1人の教室で、自由な発言を許すと収拾がつかなくなるのは想像に難くありません。そこで教師は、授業に関係ない発言があったとき、それを制限するために怒るという行為をするようになります。小学校低学年だと、授業に関係あるなしを判断して発言するのは難しい。そして、授業中に発言すると怒られるということに気付いた生徒から発言を控えるようになり、次第にそれが同調圧力として教室を支配するようになります。そして、中学生くらいになると、発言しないのが普通、発言するのが異常という環境が完成するのです。一度こうなってしまうと、発言が求められる場でも、発言しないのが普通という小学校以来の共通認識が残り、それを容易には踏み越えられなくなります。

>>同調圧力は存在しない…かもしれない

 英語教授の意見は、過激ではありましたが間違っていないと僕は思います。意見があるなら、それが積極的に場に出てくるほうがいいに決まっています。では、日本人が積極的に発言するようになるためには、一体どうすればよいのでしょうか。

 答えは簡単で、小学校で自由な発言を保障するすること。つまり、発言があったときに、教師が怒らないことです。どんなことがあってもまるっきり怒るなというわけではありません。ただ、教室がざわついたときに、生徒を威圧するように怒るのは絶対に良くない。

 僕は小学校の教師側の立場になったことがないので、生徒を無理やり静かにさせないと授業が成り立たなくなると言われれば確かにそうなのだろうとは思います。しかし、授業中の発言を抑えて静かにさせることと、授業中に積極的に発言させることは両立しません。子供も利口なので、どうすれば先生に怒られないか、そしてどうすれば周りの友達から浮いた存在にならないかということを理解して動きます。静かにさせようと怒る先生が多くなれば、当然子供たちは発言しないことで自分の身を守ろうとします。一方で、たまに授業中発言しないと怒る先生がいたりすると、生徒たちは大きなストレスを感じることになります。生徒側も、教室という閉鎖空間で悪目立ちをしないように、うまく立ち回らなければならないのです。(先生側の悩みに関しては、機会があれば別記事で言及しようかと思います。)

 では、発言しない日本人はみな、海外に行ったら馬鹿だと思われてしまうのでしょうか?

 筆者の答えはNOです。彼ら日本人学生は、先述したように表に出さないだけで、頭の中にはちゃんと意見を持っています。そして、発言するのが普通の環境に身を置くことになれば、周りに合わせるのが得意とされる日本人は、自然と自分の意見を表に出すようになります。かつての英語教授がそうであったように。逆に言えば、日本に来た外国人も、積極的に発言すると白い目で見られるという環境になったら、あまり発言しなくなるのではないでしょうか。

 発言しないのが普通という環境は、小学校でつくられます。日本全体の問題として、大人数の場で発言しないという現状を打破するには、小学校教育を改革する必要があります。

  ここ最近の傾向として、授業中に積極的な発言を求められることが、学年を問わず増えていると感じます。すぐに変わるというのは難しいでしょうが、近い将来、教師側と生徒側の双方にとって積極的な発言が自然なものとなり、この記事が古臭いものになることを筆者は心から望みます。

 そのカギは、小学校教育にあります。

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